2003年3月15日 “雪を探しに・後編”
粉雪が降り続けている。 あるいは時折吹き下ろす風が、 山肌の雪を舞い上がらせているのかもしれない。 奥日光、中禅寺湖。 明治初頭に開業した日本初の西洋式旅館「金谷ホテル」を筆頭に、 古くから栄えるこの観光地は、スキー場も無く、 真冬のこの時期は完全にオフシーズンで観光客の姿は殆どみられず、 立ち並ぶ旅館や土産物屋も、軒並み店を閉めている。 稀にすれ違う車は皆、スノータイヤにチェーンを巻いた 寒冷地仕様の4WDばかりで、 スタッドレスを履いただけの軽装備でこの地に赴いた僕らが、 ひどく場違いな感じがして、少し気恥ずかしい。 静寂に包まれた銀世界。 僕らは高揚を抑えられなかった。 しっかりと除雪された公営駐車場に車を停め、 さっそく雪に触れてみる。 握っても固まらないほどの、パウダースノー。 ふと見ると、僕らの車にもつららが下がっている。 秋にはみごとに紅葉する竜頭の滝も、今はすっかり凍り付いている。 この美しい別世界に僕らは心酔し、 桃が咲こうかという下界の春のことなど忘れてしまいそうだった。
僕らはいっぱしの冒険者気取りになっていた。 ひとしきり雪の感触を堪能した頃にはさすがに身体が冷えきったが、 車に戻り暖をとると、さらに先を見たい欲求がわき上がる。 本当の冒険が見たい。 僕らは車を出すと、中善寺湖畔を抜け、さらに奥へと進んだ。 このとき素直に引き返していれば、 雪山の本当の恐ろしさを知らずにすんだのだ。
初夏の「戦場ヶ原」は、その地名とは裏腹に、 それは穏やかな湿原だ。 周囲を大きく囲むように整備された歩道はバードウォッチングの名所で、 カナダや北欧を思わせる雄大な自然の中を行くトレッキングを 僕はとても気に入っていて、毎年訪れる事にしている。 しかし、その日の戦場ヶ原の表情はまったく違っていた。 強い横風が辺りの雪を舞い上げ、走行を困難にするほど視界を遮った。 雪雲が空を覆い、昼間だというのにヘッドライトの点灯を余儀なくされた。 中禅寺湖の静寂がうそのようだった。 路面は新雪に覆われ、ぼそぼそとした感触がステアリング越しに伝わってくる。 凍ってはいないのでスリップはしない。 が、一度でも停車したら、次に走り出せるかどうかが不安なほどの積雪だ。 僕らの顔から余裕は消えていた。 道を見失わないように慎重に走り、どうにか「湯滝」までたどり着いた。 湯滝は「湯乃湖」から流れ落ちる美しい滝で、 その名の通り湧き出た湯が湖水に混ざっている。 そのため僅かに暖かく、冬の湯乃湖は白鳥の生息地として名高い。 湯滝も凍っていないはずだ。 僕らはよせばいいのに車を路肩に停め、それを確かめることにした。
車を降りた途端、斬りつけるような突風が頬に雪を叩きつける。 それはもはや“冷たい”ではなく“痛い”に近い。 吹雪に揉みくちゃにされながら進む。 目指すは50mほど先にある、湯滝の真上に位置する展望場所。 普段なら2分とかからないその距離が、今は雪風にかすんで見える。 除雪されていない雪を掻き分け、声を掛け合いながら足を運ぶ。 滝壺に水が叩きつけられる音が聞こえる。 幾度も転び、スニーカーに入る雪が気にならなくなった頃、 ようやく木製の柵にたどり着いた。 慎重に覗き込んでみると、立ち上る湯気の中から湯滝が姿を現わす。 竜頭乃滝が周囲の岩まで凍らせていたのに対し、 思った通り湯滝は全く凍っていなかった。 温泉のように暖かくはないのだろうけれど、雪と氷に閉ざされた雪山で、 その空間だけが雄々しく水流を湛えている景色は、 非常に神秘的だった。
僕らは満足して湯滝を後にした。 吹雪に目が開けられず遭難しかけながら車にたどり着くと、 空回りするタイヤをどうにか踏ん張らせUターンさせた。 雪山のきつい斜面から僕らを見ていた鹿の群れのリーダーが、 「ケェーン!」と一度だけ鳴いた。
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